底付師のオールソール工房

昭和三十六年
初代店主 佐藤正利
平成二十三年
二代目店主 村上塁

底付師 村上塁

ハドソン靴店のサイトを見ていただき有難うございます。二代目店主の村上塁と申します。

ハドソン靴店は、横浜で1961(昭和36)~現在に至るまで60年間に渡り靴の修理を行って参りました。

靴修理業界も機械化が進み、靴職人が営む靴の修理店も少なくなってきました。しかし、手作業でなければ出来ない靴の修理や、その技術を必要としてくれる人たちがいます。

ハドソン靴店では、そのニッチな場所に、こだわりと誇りを持ち、仕事をしていくとともに、技術の継承を正しく行い靴業界の発展に取り組んでいきます。

そして、この小さな靴店から多くの笑顔が生まれることを願っております。

靴修理への想い

靴修理への想い

ハドソン靴店では、『靴の修理』=『思い出の修復』と考え靴の修理を行っております。靴は皆様と多くの時間を共にします。旅行や、学校、お仕事での時間、家族や、恋人、友達との時間。いろいろな皆様の思い出を靴は共有しています。状態によっては、靴修理をするより、新しく靴を買われたほうが安くなることもあります。

そのような状態でも靴の修理をされる靴には、きっと、より多くの『思い出』が共有されてる靴だと思います。そのような、大事な靴の修理をさせていただくことを、誇りに思うと同時に、修理した靴が、お客様の健康を足元から支え、またより長くの時をお客様と共にし、より多くの思い出を共有できることを願っております。

靴修理への拘り

靴修理への拘り

靴職人としての自分にウソはつかない。自分が納得できる靴修理をしてお客様に喜んでいただきたいと思っています。大切なことは修理した靴をお渡しするのではなく修理した靴をお客様が履かれることです。見た目を綺麗に仕上げることは大前提ですが、見えないところに手間隙をかけてこそ最高の仕上がりになります。

一例として、モカシンシューズの修理(モカ部の糸切れ)は、市販の糸で修理することも出来ます。しかし、それでは耐久性が弱くなってしまいます。本来、モカ部は縫う針や糸から全て靴職人が作りあげるものです。糸をより直し、そこに溶かした松ヤニを擦り込み、その糸で一目ずつロックをかける特殊な縫い方をすることで強度が増し靴修理後も末永く履いていただくことが出来ます。

自己紹介

私、村上塁は、性格は基本物静かですが好きなことについてはついつい暑苦しく語ってしまう癖があります。被害に遭った方々にこの場を借りて謝罪致します。

趣味…  特技…  は、とくにございません…。
結局のところ、手仕事が好きで今は趣味も特技も靴の修理になっております。難易度の高い靴の修理ですと燃えてきますので、他店さまでお断りされた難しい靴の修理や、修理したけど思うような仕上がりにならなかった靴がありましたら是非お持ちください。

靴職人としての経歴は、靴の専門学校に通い、お三方の靴職人に教わり、その二人目としてハドソン靴店の先代、佐藤正利さんと出会いました。

佐藤さんは吉田茂元首相、石原裕次郎氏を始め、多くの著名人の靴を作り上げ当時の通産省から御礼状や都知事賞等の受賞歴があった横浜で唯一の靴職人でした。そんな先代に本物の製靴技術を学べた私はとても幸せで、より一層、靴職人の世界にのめりこんでいき、現在ハドソン靴店の2代目として、皆様の靴の修理をさせて頂いております。

ハドソン靴店の名前の由来

よくご質問をいただくのですが、「ハドソン靴店」の名前の由来は、ハンドソーン(手縫い)からきてます。
………多分… 。
実は私も確かなことは知らないのです。…が、おそらく先代の時代はハンドソーンを訛ってハドソンと発音
してたのではないかと思います。